気持ちの整理がつかずに、何も書けずにいました。
被災地の方々に起きたこと、
自分にははかり知るなんてできないのだけれど
どうしたらいいんだろうと。

被災された方々に、心よりお見舞いを申し上げます。
亡くなられた方々のご冥福を、心よりお祈りいたします。
たいせつな人を亡くされた方々に
なんと言葉をかけていいかわからずにいます。

東京の私たちはできることをしながら、働かねば、動かねばと
みんなが言うのを聞きながら、それはそうだと、頭では納得できるし
自分もそうしなくてはと理屈では思っているのだけれど
先週末あたりから、つらくなってきてしまいました。
私がこんなふうに落ち込んでもまったく無意味だし、
世の中の足を引っぱるだけなのに。

地震から数日後のある朝、
スーパーに行ったら今まで見たこともないような長蛇の列でした。
ふだんの私なら並ぶのがいやで帰るのですが、
がんばって買い物しなくちゃいけないようなへんなスイッチが入り、
いつもより暗くてモノが少ない店内をまわりました。
家のお米が残りわずかだったのでお米を買い、
サンドイッチパンがあったのでそれを買い、
ちょうど売場にトイレットペーパーが並んだので最後のひとつを買いました。
ほかにも、非常用持ち出し袋の中身がことごとく賞味期限切れだったので
常温でおける豆乳やお菓子などを買いました。
後から思えば、自分の子どものことしか考えていませんでした。
この買い物が被災地の方々の迷惑になると後から気づかされて
自分のことをほんとうに無知でバカだと思いました。

放射線のことも、さまざまな記事のリンクをたどっては読むのだけれど
理解できないのです。なんども同じ場所を読み返してしまいます。
私の頭では手に負えない。誰を信じればいいのだろう。
でも判断は、あたりまえですが自分でしなくてはいけないんですよね。

世の中のほとんどが、知らないことばかりってことは、いつも思っています。
人がなにかを把握できる量は限られていて、とくに自分はちっぽけ。

今は自分の気持ちすらわからない。
なんでこんなにまいっているのだろう。
わが家に住んで、仕事も失わず、毎日食べて寝て家族とすごせているのに。

自分の気持ちもわからないんだから
人の気持ちなんてわかるわけがない、
わかるなんて思い上がっちゃいけないというのは、常日頃から思っています。

それでも、わかろうとしたいし、できるかぎり知りたいと思う。
私がいつも、生活をしていても、仕事をしていても、
子どもらと一緒にいても、いちばん知りたいのは、
目の前にいる人がどんな気持ちでいるのかーーということです。

今のは心からの声かもしれない、そう感じるような一言がきけたとき
目の前が少しだけひらけたような気持ちになります。
なにが正しいか、正しくないかというのは、ときに変化する曖昧なものだけれど
人の言葉のなかにだけは、真実が見つかることがあるような気がしています。

11日以降、ツイッターを追ったり、ブログを読んだり
さまざまな人の意見にふれてきました。
ふだんから、ただ批判するだけ、反対するだけ、否定するだけというのは
苦手なのですが、今はとくに、そういう意見にふれたくないと思ってしまう。

でも、自分のまわりの人が書いているのはいいなと思える言葉が多くて、
それだけが自分を安心させてくれます。