朝4時半に起き、7時40分羽田初のスカイマークで熊本へ。カメラマンさんに「JALとANA以外に乗るのは初めてです〜」とほがらかに言われる。編集さんは「わたしはJALとANA以外ばっかりです」と答えていて、みんなで笑った。わたしは2年ぶりの飛行機。ほんとうは苦手なんだという言葉を縁起のために飲み込んでおく。

9時40分、予定通り熊本空港着。レンタカーを借り、まずは取材先のお家を目指して場所を確認。その後、近所におじさまひとりで切り盛りしている小さなイタリアンを見つけ、腹ごしらえをする。たいがい編集者という人種はこういうとき、さっとケータイでお店を見つけてくれるものだ。店主のおじさまは旅が趣味らしく、気のいいカメラマンさんがすっかり聞き役になり、タイ旅行の写真などを見せられていた。

おじさまの止まらない話しに時間がギリギリになってしまった。先ほど場所確認をした準備もむなしく、カーナビがなぜかさっきと違う案内をしたこともあり、若干迷いながら定刻をすぎて取材先に到着。

はじめてお会いする憧れの方に、わたしは最初、少し緊張していたようだ。無意識にICレコーダーの電池を入れ替えていたらしい(後で電池量を確認しているときにカメラマンさんから「替えてましたよ」と教えてもらった)。自分としてはまったく覚えていないのだが、途中で電池切れにならないようにと身体が勝手に動いたのか。

取材終了後は、わたしの希望で長崎書店へ向かってもらう。好みの本がずらっと見やすく並ぶ、実にたのしい本屋さんだった。『雲のうえ 一号から五号』と『PERMANENT』を買う。偶然にもいつもお世話になっている版元の営業さんとバッタリ。声をかけたら向こうもびっくりしていた。わたしたちも、せっかく来たのでお店の方にご挨拶。自分が作ったリトルプレスなども押しつけてきた。

今日のホテルは、取材先の方に「ビジネスホテルにしてはいいって、みんなが言うのよ」と教えてもらったところ。温泉付きで、「ああ、これだとうれしいんだよね」という細やかなところに気が行き届いていた。ちゃんと考えているんだろうな。

夜ごはんは、編集さんとカメラマンさんがリサーチしてくれているので、すっかりお任せ。わたしは方向音痴だし、ふたりの後をただくっついていく。2件候補があり、1件目は郷土料理も味わえるもろ居酒屋風。もう1件は看板も小さく、ビルの地下の奥にあって外からは雰囲気のわからない馬刺し料理の店。うーむとたじろぐも、カメラマンさんは「あけてみるね。それでカウンターだけとかだったら、またきます〜ってしめればいいね」とニコニコ言う。たのしくなって、お願いしますと答えた。開けてみると、カウンターとお座敷があり、店員さんも感じ良く庶民的な雰囲気のお店。でも、お座敷は今は誰も座ってないのに、予約でいっぱいだと言う。カウンターだと打ち合わせがしにくいので、いちどは帰ろうと店を後にしたものの「これって、入ったほうがいいんじゃないですか」と、おみそのわたしが言う。たぶんふたりとも、馬刺しに積極的でなかったわたしに気を遣っていたかもしれない。打ち合わせは食後のコーヒータイムにしようと即意見が一致し、踵を返した。

結果、馬刺しも刺し身も牡蠣フライも、とってもおいしかったです。大正解。ふたりの好奇心のおかげで、幸せな晩ごはんにありつけた。

その後の打ち合わせは、近くに橙書店&カフェORENGEがあることがわかっていたので、いそいそと向かう。橙書店は古い小さなアーケード通りの入口に現れた。その店構えを見た瞬間に大興奮。ブックガイドなどで見る限りでは、もっとキレイめな雰囲気かと思っていたのだが、いい感じに古びて落ち着いている。置いている本は少ないけれど、その分、見通しがとても良くて、机の上にポツポツと行儀良く並べられていると、どれもこれも手にとりたくなる。ふと『さよならのあとで』を手にして中を読んだら涙が出てきた。酔っているからかと思ったけれど、さめた後でもやはり涙が出てきたから、考える前に気持ちに響く本なのだと思う。橙書店で買ったのはこの一冊だけだが、川内倫子さんの写真集も買えば良かったと、いま、とても後悔している。本を買った後は隣りのカフェに移り、調子に乗ってパフェを注文。旅行中は(あれ、出張だろう?)ダイエットは忘れることにした。とっても落ち着く雰囲気のなか、3人でコンテを考えたらとても早かった。編集さんのコンテの書きかたが変わっていて、ほかの人の仕事をのぞけるのはおもしろかった。
Img_ae743b3a1e8e0b1f4e6e67adc5dfcf97
長崎書店
Img_666ae5e21bd1a6693afc4b0c48a63b3b
橙書店
ずっと先延ばしていた新年の抱負。旧暦好きというわけではないのだが、書くタイミングをのがしていたので、ちょうどいいやと旧正月の機会に書きまとめてみる。ほんとうは、わたしにとっての正月は、やはり1月1日だ。12月に入ると、暮れにむかって世の中が少しずつ慌ただしくなっていく。掃除が気になったり、年賀状が気になったり、お節の買い出しの計画をたてたりしながら、「よいお年を」という挨拶を交わして、だんだんと大晦日がやってくる。一年に一度の、いちばんの大きな気持ちの切り替えは、世間のムードと相まって幼少からの習慣により成り立っていくのだ。

そうやって迎えた1月1日と、その後の数日間をかけて、わたしは今年の抱負というよりも、これから先はどうやって生きていったらいいかを考えた。この日記にも何度か書いているように、わたしはずっと悶々としていたので、それを考えるのは今に始まったことではないのだけれど。

でも、2012年が明けたとたんに、ポーンと何かがはじけたというか、するすると余計なものが落ちて、目の前にいちばん好きなことだけがデーンと姿を現した。わたしは、自分と家族と知人と他人とすべてをふくめて、人の“気持ち”を味わうことが何よりも好きだ。好き……というか、とにかく気になる。たとえ小さな子どもがする些細な遊びのひとつでも、「ああ、それがやりたかったんだね」というのがわかるとジーンとする。ほんとうの気持ちに触れただけで、ただただうれしくなる。

死ぬまでそれを追いかけていればいいだけなんだ。最近の自分は、フィールドにとらわれすぎていたのだ。27歳でライターの弟子入りをしたときから「40歳すぎたら雑誌のライターはできない」と師匠に脅され(?)続けていた。師匠からすれば弟子にいつまでも通用するライターになって欲しいからの愛の言葉だったろうが、意外にそれがわたしの頭を支配していたのかもしれない。本質を追っているつもりでも、何か要領の良い道はないものかと、打算していた。

この数年は悶々としながらも、心のどっかで自分もわかっていたんだろうなあ。やろうとしていたこと、目指そうとしていたこと、方向は間違っちゃいないのだ。それがようやくはっきりしてきたというか、あらためて思い知ることができたのは、ほんとうに良かった。そう、こうやって自分の気持ちを知ることさえも、いくつかの段階をかけなくてはままならないときがある。だから“気持ち”はおもしろい。

考えすぎの昨今だったので、今年は感じることと、手や身体を動かすことに、重きを置こう。そしてダイエットが今年こそ成功しますように。
1〜3月は単行本『衣類ケアブック』にかかりきり。年始早々に、まだ休暇中で誰も出社してない編集部を使ってブツ撮りをしたのが仕事始めだった。3月末には一年間担当していたコモの連載が終了して、ちょっとさみしい気持ちに。

『衣類ケアブック』校了後はすぐに『DIYの本づくり』にとりかかる。4〜7月中旬まではこの本のことが頭と心の中心をしめていた。雑誌の仕事はなかなか受けられないこともあったが、枝元なほみさんの取材で仙台に行けたことは、とても印象に残る出来事だった。なにより、枝元さんの考えや行動から大きな影響を受けた。『女子の古本屋』という本を読んで以来、ずっと気になっていた「火星の庭」の前野さんに会えたこともうれしかった。この間に『衣類ケアブック』が増刷。著書では初の増刷なので、大喜びする! ちょうどその寸前、京都出張のさいにポップを持って書店めぐりをしたのだが、やった甲斐あったな〜と充実感にひたる(たぶん直接的には影響してないだろうが気持ち的に)。

7月の後半は、コドモラが夏休みに突入。ひと仕事終わった祝いにコドモラとべったり遊びたくて、終業式の日にキッザニアを前々から予約していた。しかし、当日キッザニアで遊んでいる真っ最中に、妹からの電話で父が突然亡くなったことを知る。6月の父の日に会いにいったのが最後だった。人生の終わりについて強く考えるようになる。

8月は仕事をお休みして、通信制の大学のスクーリングに通った。4月に入学していたものの、まったく手をつけていなかった勉強、ようやくスタートできた。かれこれ20年ほど前にも通信制の短大を卒業しているが、その頃とは脳みその働き具合が違いすぎて苦戦。でも、仕事とはまったく関係なく、自分の興味で何かを知ろうと講義を受けるのはむちゃくちゃ新鮮だった。『衣類ケアブック』の第二弾の企画も立ち上がり、あれこれ考えるモードに。企画を練るのはとっても楽しい時間だ。そしてこの夏で、長男が野球チームを卒団することに。私は今期マネージャーとして小間使いを担当していたし、「最後だから」と、なるべくチームに関わった。仕事をしながら少年団の当番はたいへんで、子どもが辞めたいと言ってくれたらどんなにうれしいかと、ずっとずっと思い続けてきたけれど、いざ終わるとなるとさみしいものだった。長男も私も、卒団までがんばれてよかった。いや、私ががんばれたのは、長男ががんばってくれたおかげだな。チームの子たちがみんなかわいい。子どもと関われる尊い時間だったのだなと思い知る。

充実した夏を終え、仕事を休んだことで気持ちが切り替わった。9月後半〜10月は雑誌の仕事でフル稼働。また、大好きな恵文社 一乗寺店で『DIYの本づくり』のフェアをしていただいたり、TOKYO ART BOOK FAIRに参加したり、リトルプレス活動もたのしめた。11月からは『衣類ケアブック』第二弾の取材撮影がスタート。PTAの親子ソフトボールや次男のサッカー、野球の残り試合など、毎週のようになんらかの当番もやっていた。大学のレポートもやらなくてはいけないのに、そちらはぜんぜん進まず……。そのほかには、9月、11月に参加した西村佳哲さんの「ともに生きる技術」講座がすごくおもしろく、自分がこれからどうしていきたいのか、たくさんのヒントをもらった。

12月はなんだかパワーが衰えてしまい、歩幅を小さくすることに。料理家さんのアトリエのパーティに参加したり、小学校時代の友だち(ママ友として再会した)とランチでしゃべり通したり、忘年会に行ったり、リトルプレス『みんなのクリスマスツリー』をせっせと持ち込んだりと、人との交流は活発だった。中旬は保護者会の連チャンで、後半からはコドモラの冬休み突入とともに、すっかりお家モードに。ここ数年、大掃除はパスしてきたし、子ども部屋もほっぽらかしだったことを、急に見過ごせなくなってしまったのだ。すっきりして新年を迎えたい一心で、子ども部屋、ベランダ、キッチン収納などをひっくり返して片づけ祭り! あまりにも放置していたので、ほかにもやりたい場所はいっぱいで、すっきりとは言いがたいが、ひとまず良しとする。この片づけモードを新年にも持ち越して、コツコツとやっつけていこうと思えた。年末は恒例の花屋手伝い、お節づくりで終える。

それにしても、この暮れの大掃除などにはコドモラがとっても役に立った。ちいちゃい頃は買い出しにも子連れでスーパー何軒もはしごしたり、掃除をしててもお節をつくっていてもじゃまされたり、とにかくお荷物だったのに、小学生ともなるとなんと使えることか! こんな日がくるなんて思ってもみなかった。最近は(も)、とにかくコドモラがかわいくてしょうがない。そんな自分の気持ちに忠実に、大学の今期の単位取得をあきらめた(つまりはレポートを出さなかった)。い、言い訳ではありませんよ……。でも、このところ子どもが親から離れていくことをうすうすと感じるので、今無理しなくても、と思ってしまったのだ。じゃあなにも今年、入学しなければよかったのかもしれないけれど、春の時点では、とにかく今、はじめたいと思ってしまったのだからしょうがない。なんとかなるさ! さようなら2012年。
扉にスプーンが数個、はりつけてあるディスプレイが、ずっと気になっていたわりと近所の珈琲店。中をのぞくといつもお客さんはいなくて、おととい自転車で前を通ったときも、ガランとしていた。立ち止まって、しばらくメニューを見て、中をのぞいて、どうしようかな……。考える。いつものように通り過ぎようとした。でも、たぶん、はじめてこの店を意識してから、かれこれ2年ぐらいは経っている。心の底から好奇心を引っぱり出してきて、えいっと自転車をとめて、扉を開けた。

店主は女性。なんとなく煙草のにおいがする。禁煙じゃないのがちょっとがっかり。店内には、カウンター席と、窓際にいくつかテーブル席が並んでいる。カウンターはキッチンとの仕切りが高いから中は見えない。その仕切り壁に向かってすみっこに座るとひとまず落ち着いた。

バッグの中から文庫本をとりだしてこげ茶色のカウンターにのせたが、店のほうに興味がいって集中はできない。注文したカフェオレが出てくるまでには少し時間がかかった。それはいいことだ。シュンシュンとお湯をわかして、かちゃかちゃと私のコーヒーをいれてる音をききながら、店内を見まわしていた。奥の壁際にミシン台があって、雑誌が立ててある。クウネルとアルネがずらり。店主さんの趣味がわかってなるほどとごちる。ピンクのカップ&ソーサーになみなみつがれたカフェオレをのみながら、本のページをめくるものの、あたたかさと、ほかに誰もいない静かな空気に、なんども船をこぎそうになった。お勘定を払うとき、店主さんが「クリスマスだから」とクッキーを2枚くれた。
ちょっと前、なんか自分がすごく愚痴っぽくて調子の悪い日があった。
あるコーヒーやさんに行って、店主さんににっこりされて、おいしいロールケーキを食べたら、こりゃあうれしいなあと思って少し復活。あの店主さんのにっこり力はすごい。一見、そんな笑顔を見せてくれそうにない風貌なのになんの不純物もないような笑い方をする。
その後オギハラさんの「stock」に行って、紙もの選んでいたらさらに復活。オギハラさんとたくさんおしゃべりできた効果もあるのかな。もう大丈夫って思えた。

オットにこの話しをしたら「そんなことで?」と言われたので、自分の気持ちをさらにのぞいてみたけれど、おいしいもの食べたり、かわいいもの買ったりしたから、というわけではないんだ。おいしいものを出したり、かわいいものを売ったりしている人がいるってことが、うれしかったのだと思う。どちらもそのお店だけのもの。たいせつなものを気前よく分けてもらったような? いやちょっと違うかな。そんなもったいぶったニュアンスではなくて、好きなことやっている人がいて、それで誰かに喜んでもらおうとしているーーていうのが、ちゃんと伝わってきたからうれしくなったのかな。