「ひとりの人を取材したら、その後しばらくせめて10日間ぐらいは、その人にひたってたい」

先週、友達と話しているときに発した自分の言葉に、ほんとそうだよなーとつくづく思った。

取材の仕事は、高刺激だ。ひと月に何人も取材するとしたら、「すごいな、おもしろいな、そうだったんだ、そんな風に考えるなんて!」などと、脳内がずーーっと興奮している。夢中になるし、いつまでもそのことを考えていられるし、言葉のすみずみをつなげながら原稿を組み立てるのは、最高にやりがいのある作業だ。

同時に、苦しくもある。取材できいた話がおもしろければおもしろいほど、深ければ深いほど、プレッシャーがすごい。私がこうやって人に会い、話がきけるのは、当たり前だけれど読者に伝える役割の仕事をしているからだ。取材を受けてくれる人は、私を通して、読者に話してくれている。見知らぬ誰かのために、自分をさらすことに腹をくくっている。だから私も、ぎりぎりまで考えてしまう。繁忙期には頭のなかが大渋滞している。

取材の仕事が高刺激だとは自覚していたけれど、ライターを休業していた一年間に、本当の意味でそれを実感した。ベンチャー企業をのぞきみたり、若者たちと仕事をしたり、吸収することが多く新しい発見がいっぱいで、成長もできたと思うが、興奮具合に無理がなかった。時間で区切る仕事で、土日が休めたことも大きかっただろう。私の毎日に、原稿のことや取材相手のことを考えない時間が生まれた。それはすごく平穏で、中学時代の友だちと再会したり、毎週のように近所のお店で夫と飲んだり、等身大の自分がくっきりする時間を、自然とすごしていた。

たぶん、ライターの仕事をしているときは、脳内物質が出すぎている。おもしろい出来事に、精一杯ついていく状態。ほんとうに走り続けていたのだ。

それでよかったと思う。もう少し、子どもたちとの時間を味わえばよかったとか、もったいない気持ちになったりもするけれど、加減ができるものではなかったということも、わかっている。仕事の縁は、自分ではどうにもできない部分がある。子どもたちが小さかったからこそ、生活に対して知りたいことが多い時期だったからこそ、任せてもらえる仕事があったのだろう。子育てと仕事、同時進行で突っ走るしかなかった。そうしてこれたことは、とても幸せだった。

今、これから、どんな風に仕事をしていこうかと、ずっと考えている。正直、ライターを休業しているときには、「もうあの仕事には戻れない」と思っていた。脳内物質があふれない状態が心地よすぎて、戻る気力がわかなかった。

学校を卒業した3月からの約半年間。いろんな求人に応募したり、一瞬派遣で働いたり、新しい何かをもとめてうろうろしていた。まだまだうろうろの途中だが、そんな中、ライター仕事で2カ月にわたって動かすような3件の取材を任せていただき、久々に人からの刺激を受けている。今どきびっくりするような、ゆとりある進行。でも、これが私のペースにちょうどよく、冒頭の台詞につながった。

世の中の仕組みが、大きな変わり目にきている。そのことばかり理由にしていたけれど、もっと自分本位になろう。好きなことを、好きなようにする。前者は今まで積み重ねることができたから、これからは後者を育てていきたい。ひとりの人を取材したら、しばらくはその人にひたっていられるように。