このホームページを立ち上げてから10年がすぎた。2008年は、初めての著書を出版したり、それによってたくさんの出会いが広がったり、自分の興味や仕事が変わりはじめた時期。

あれから10年も経ったのか。

当時の写真を見ると、コドモラが小さくてかわいくて涙が出てきちゃう。そういえば学生時代から思っていたのだけれど、私がいちばんうらやましいのは「過去の自分」だった。すごく楽しかった時間がすぎたあとで、「あの瞬間にもどりたい」ってどんなに強く思っても、絶対にもどれないってことが不思議でやるせなかった。今もこうして、コドモラが小さい頃の写真を見ていると、その向かい側でシャッターを押していたであろう自分のことがうらやましくて仕方ない。

今の自分が10年前の記憶を思い返しているように、何年後かの私が、今の私のことを思い返す日が絶対にやってくる。自分がたしかに「経験」したはずのことが「記憶」になるという不思議を、人生のラストまで味わっていくんだ。

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この頃のお出かけはコドモラつき。今はなき阿佐ヶ谷住宅にて
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イネルで休憩中。この日、やまぐちめぐみさんはいなかった
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大混雑のもみじ市には、水筒とおむすびを持参で
2泊3日ではじめての台湾旅行。街がかわいくて、人が親切で、食べものがおいしい。ちょっと古くて懐かしい景色と、おしゃれなエッセンスが入り交じっていて、みんなが台湾にいく理由がよ〜くわかった。

今回の旅は、CHICU+CHICU5/31・山中とみこさんの個展におじゃますることがきっかけ。 (Click!) 

そのおかげで、茶芸館&ギャラリー「小慢」のオーナーさんに地元の台湾料理店に連れていってもらったり、ご一緒したワタナベマキさんや井山三希子さんにおいしいものを教えてもらったり、私と同じく初の台湾なはずなのにカンの優れた梶謡子さんに道案内してもらったり。タクシーでピンポイントに目的地を目指すこともあれば、残金数えながら電車+歩きで行き当たりばったりを楽しむこともあるという、振り幅がおもしろかった!

メインの目的である「小慢」では、とみこさんの服を台湾の方々がどう着こなすのかをじっと観察したり、オーナーさんがいれるお茶にうっとりしたり。茶会でコラボしたマキさんのお菓子セットは、食感や味つけにメリハリがあって、さすがのおいしさでした。

フリーの時間は少ないだろうから、ここだけは行きたいと最小限リストアップしていた本屋さんにも、お寺の境内にある屋台にも、編集さんにおすすめされた問屋街にも行くことができて大満足。すぐにお腹いっぱいになってしまうので、食べたいと思ってもなかなか買いには至れないことが残念だったけれど、いろんな市場にも行けたのは最高にたのしかった。

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地元の人が通う市場のビーフンから、予約必須な店の雲南料理まで、おいしいものをたくさん味わったけれど、マイベストは30元の大根餅! 着いたその日にオーナーさんが買ってきてくださり、そのおいしさにびっくりした。最終日、大混みすぎて小籠包をあきらめた後、謡子さんの「じゃあ、大根餅食べて帰ろうか」に大賛成。もう一度食べてみたらどんなだろうかと試してみたところ、やっぱりおいしかった! 謡子さんが初日に食べたというイカのスープの屋台麺を試せなかったことが心残りだけれど(小籠包よりそっち)、それはまた、いつか来られたときのおたのしみに。

さそってくれたとみこさん、おもてなしをしてくださったオーナーさん、ご一緒したみなさま、ありがとうございました。こころよくお留守番してくれた家族にもありがとう。

旅の写真はインスタにもアップしています。
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「ひとりの人を取材したら、その後しばらくせめて10日間ぐらいは、その人にひたってたい」

先週、友達と話しているときに発した自分の言葉に、ほんとそうだよなーとつくづく思った。

取材の仕事は、高刺激だ。ひと月に何人も取材するとしたら、「すごいな、おもしろいな、そうだったんだ、そんな風に考えるなんて!」などと、脳内がずーーっと興奮している。夢中になるし、いつまでもそのことを考えていられるし、言葉のすみずみをつなげながら原稿を組み立てるのは、最高にやりがいのある作業だ。

同時に、苦しくもある。取材できいた話がおもしろければおもしろいほど、深ければ深いほど、プレッシャーがすごい。私がこうやって人に会い、話がきけるのは、当たり前だけれど読者に伝える役割の仕事をしているからだ。取材を受けてくれる人は、私を通して、読者に話してくれている。見知らぬ誰かのために、自分をさらすことに腹をくくっている。だから私も、ぎりぎりまで考えてしまう。繁忙期には頭のなかが大渋滞している。

取材の仕事が高刺激だとは自覚していたけれど、ライターを休業していた一年間に、本当の意味でそれを実感した。ベンチャー企業をのぞきみたり、若者たちと仕事をしたり、吸収することが多く新しい発見がいっぱいで、成長もできたと思うが、興奮具合に無理がなかった。時間で区切る仕事で、土日が休めたことも大きかっただろう。私の毎日に、原稿のことや取材相手のことを考えない時間が生まれた。それはすごく平穏で、中学時代の友だちと再会したり、毎週のように近所のお店で夫と飲んだり、等身大の自分がくっきりする時間を、自然とすごしていた。

たぶん、ライターの仕事をしているときは、脳内物質が出すぎている。おもしろい出来事に、精一杯ついていく状態。ほんとうに走り続けていたのだ。

それでよかったと思う。もう少し、子どもたちとの時間を味わえばよかったとか、もったいない気持ちになったりもするけれど、加減ができるものではなかったということも、わかっている。仕事の縁は、自分ではどうにもできない部分がある。子どもたちが小さかったからこそ、生活に対して知りたいことが多い時期だったからこそ、任せてもらえる仕事があったのだろう。子育てと仕事、同時進行で突っ走るしかなかった。そうしてこれたことは、とても幸せだった。

今、これから、どんな風に仕事をしていこうかと、ずっと考えている。正直、ライターを休業しているときには、「もうあの仕事には戻れない」と思っていた。脳内物質があふれない状態が心地よすぎて、戻る気力がわかなかった。

学校を卒業した3月からの約半年間。いろんな求人に応募したり、一瞬派遣で働いたり、新しい何かをもとめてうろうろしていた。まだまだうろうろの途中だが、そんな中、ライター仕事で2カ月にわたって動かすような3件の取材を任せていただき、久々に人からの刺激を受けている。今どきびっくりするような、ゆとりある進行。でも、これが私のペースにちょうどよく、冒頭の台詞につながった。

世の中の仕組みが、大きな変わり目にきている。そのことばかり理由にしていたけれど、もっと自分本位になろう。好きなことを、好きなようにする。前者は今まで積み重ねることができたから、これからは後者を育てていきたい。ひとりの人を取材したら、しばらくはその人にひたっていられるように。